2007年11月02日
経営判断基準
経営者には経営判断の決断が連続している。
だから経営者には個々の判断基準というものが必ず心の中の何処かに存在している。
僕にとっての判断材料は言葉にすると以下のようなものになる。
自分の主義に即しているか、社会に対して恥じることはないかどうか、お客様や従業員の幸せに反することはないのだろうか、社の成長、発展していく上で必要なことなのか等である。
最も大事なのは、組織がこれらの理念に忠実である事である。
そうすれば、はみ出し者はすぐに目につくからでもある。
人は教わった事や指摘を受けた事、聞いた事、見た事をどうするかは自分の中に答えを持っていると思っている。
だからこそ、100%素直に受け止めその通りにしようとする人は意外にも少ないのかもしれない。
言われた事以上を目指すのか、言われた通りを目指すのか、言われた事まで出来ないと思うのか、答えなど、何時でも自分の中に存在する。
だから僕自身、会社の経営者として、経営判断基準については自問自答を繰り返したり、振り返ってみる。
僕の中では会社もこの身もすべて借り物であるという思いもある。誰かに、環境に生かされているという考えである。
誰でも父がいて母がいて、始めて自分が存在するし、嫁がいて子供がいて弟がいて妹がいて社員がいてはじめて自分というものが存在する。
だから感謝と謙虚をもって歩んでいこうという自分の答えになる。
そんな同じ思いで歩もうとしている社員に対して経営者は誇りに思うし、色々な事を共有していきたいと思うし、チャンスも与えたいと思う。
僕はそう思うのである。
だから経営者には個々の判断基準というものが必ず心の中の何処かに存在している。
僕にとっての判断材料は言葉にすると以下のようなものになる。
自分の主義に即しているか、社会に対して恥じることはないかどうか、お客様や従業員の幸せに反することはないのだろうか、社の成長、発展していく上で必要なことなのか等である。
最も大事なのは、組織がこれらの理念に忠実である事である。
そうすれば、はみ出し者はすぐに目につくからでもある。
人は教わった事や指摘を受けた事、聞いた事、見た事をどうするかは自分の中に答えを持っていると思っている。
だからこそ、100%素直に受け止めその通りにしようとする人は意外にも少ないのかもしれない。
言われた事以上を目指すのか、言われた通りを目指すのか、言われた事まで出来ないと思うのか、答えなど、何時でも自分の中に存在する。
だから僕自身、会社の経営者として、経営判断基準については自問自答を繰り返したり、振り返ってみる。
僕の中では会社もこの身もすべて借り物であるという思いもある。誰かに、環境に生かされているという考えである。
誰でも父がいて母がいて、始めて自分が存在するし、嫁がいて子供がいて弟がいて妹がいて社員がいてはじめて自分というものが存在する。
だから感謝と謙虚をもって歩んでいこうという自分の答えになる。
そんな同じ思いで歩もうとしている社員に対して経営者は誇りに思うし、色々な事を共有していきたいと思うし、チャンスも与えたいと思う。
僕はそう思うのである。
Posted by kan at
12:10
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